今週から、県内中学生も、ようやく公的グラウンドの使用が解禁になった。
冬季閉鎖に続いてのコロナ自粛だったので、6か月以上外での練習を我慢していたことになる。私たちにとっても初めての経験で、選手たちにとっては、長いトンネルだったと思う。
コロナウィルスに関する予測を、現状で自信をもって語れる人は誰もいない。その点、2年前の大雪での練習中止より気持ちの面でつらかったと思う。しかし、前の投稿でも書いたが、人間は感染症の危機をこれまで何度も乗り越えてきた。私は、今の状態がそのまま新しい生活として定着するのではなく、多くの面でこれまでの生活を取り戻すことができると思うし、また、そうしなければならないと思っている。ただし、そのためには、以前のMARSやSARS禍よりも、私たちに持久力が求められるかもしれない。
漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の作者荒木飛呂彦氏が、先日還暦を迎えたことにちなんで、ネット上でもいくつか記事を見たが、作家の石戸諭氏が、漫画の中の「真実に向かおうとする意思」というセリフをとりあげ、コロナ禍の今こそ響く内容と書いており、非常にうなづけるものがあった。
このセリフが登場するのは、第5部の主人公の仲間であるアバッキオが敵に不意打ちで殺され、天国へ向かう前に見る夢の場面。アバッキオは、幼少から憧れていた警察官になったものの現実に絶望し、ギャングの一味に身を落としながら、再度正義のために戦おうと決意したばかりだった。その夢の中に、かつて自分の不祥事のせいで殉職した同僚が現れて「真実に向かおうとする意思」について語る。
見返りがあるかどうかもわからない仕事に関するアバッキオの問いに、同僚は、「わたしは『結果』だけを求めてはいない。『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…近道した時真実を見失うかもしれない」「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」と確信を持って答える。
コロナ禍の中に置かれている私たちは、見えない敵や、先の見えない不安に自分を見失い、安易な『結果』を求めようとしがちではないだろうか。弱い立場の人を匿名で攻撃する、感染の拡大をすべてWHOのせいにする、あるいは、自分だけはいいだろう、他の人もやっているだろう、とルールを軽視する。
しかし、その先にあるのは「真実」ではない。「真実」が見えない時に、手近なものを「真実」の代用にするのではなく、粘り強く自分を諫め、いずれ見つかる「真実」に向かって歩き続けることの大切さとなかなかそうできない悲しさをこの漫画は表現している。
この6か月余、特にコロナ禍で練習を自粛してきた2か月余は、選手たちにとって、つらい回り道だったに違いない。これから、実戦カンを取り戻すのも容易ではないだろう。
けれども、毎日のように監督から配信される自宅トレーニングメニューに愚直に取り組んできた3年生の目は、再び集まったとき、決して時間を無駄にしてきた者の目では無かった。まさに「今やらなければならないことを全力で」やってきた成長をうかがわせる表情だった。
長い野球人生を考えれば、この6か月間は、決して失われた6か月ではなく、どの時期よりも濃密な時期であり、結局それがほんとうの近道だったということに気づく日が、必ず来るだろう。
試行錯誤は続くだろうが、保護者の方も、今子ども達は将来に向けて大きな貯金をしていることを信じて、焦らず、暖かく見守っていただきたい。そうすれば、夢に「いつかはたどり着くだろう」「向かっているわけだからな」
2020年6月14日日曜日
2020年6月8日月曜日
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チーム練習を再開して1週間余。福井県は新規感染者無しを41日続けている。入院が続き重体と伝えられていたお一人も、肺炎が快方に向かったと聞いた。嬉しかった。
東京では緊急事態解除後、感染者が増えたと緊張が走っているが、解除しても全く感染者が発生しないと考えていたわけではないだろう。ステップを進めるあるいは戻すための数字は明らかにされているが、その根拠がわからない。
中国は、コロナ感染症で最初に被害を被った武漢市で、1000万人のほぼ全住民に検査を行った結果、陽性と判定されたのは300人余だったと、感染の制圧が裏付けられたと発表した。1000万人を2週間で検査できるのだろうかと疑問もあるが、この判断は、欧州などで少しずつ文化活動を再開している根拠と違和感がない。
「新しい生活様式」ということが言われ、またその言葉が独り歩きしている感がある。時差通勤を行って満員電車の通勤を避けるとか、手洗いの習慣づけとかは、コロナ感染がおさまっても続けた方がいいだろう。でも、私たちがすべきことは「新しい生活様式」ではなく、どうしたら「元の生活」に戻れるかではないか。
マスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、これらは聴覚や視覚に障がいを持つ方にとっては、社会との遮断に繋がり、生活そのものが成り立たなくなる厳しさがある。派遣切りで仕事や住む家も失った方々には政府の支援自体が届かない。これに限らず、人々の繋がりを希薄にすることで、どれだけの人が支えを失いつつあるか。「新しい」という言葉は、往々にして残酷な意味を伴うが、「新しい生活様式」という言葉を既成事実のように使う時、どれだけの人々や、人間が長年築いてきた価値を切り捨てているか、爆発的感染がおさまっている今、冷静に考えてみるべきだと思う。
グローバリゼーションの弱点を突いて、今回のコロナはかつてない急速な拡大を見たが、人類が大規模な感染症の被害を被るのは、初めてではない。
また、感染症を引き起こすウィルスについて、人間がいつかすべてを解明し、恐怖から無縁になる時が来ると思っているなら、それは、自然に対する人間の思い上がり以外何物でもないだろう。
しかし、そうしたリスクや不安もあるこの世界でも、人間は生きていく道を毎回見つけ、人間らしい生活を取り戻してきた。それは長い歴史が証明している。
暗闇を手探りで歩くことになっても、その場にとどまらず、一歩でも前に進まなくてはいけない。慎重と臆病は違う。
全国の花火大会の6割以上が中止になる中で、6月1日、ウィルス禍終息への願いと人々へ元気を届けたいという願いをこめて、全国一斉に花火師が花火を打ち上げた。
予告なしに突然、胸を揺さぶる音とともに漆黒の空に咲いた花火に、人々はどれだけ勇気づけられただろう。
私も花火が大好きで、東京にいたころ、毎年両国の川開きを見に行った。花火は儚さが強調されがちだけれども、打ち上げ花火は、その瞬間、心を解放してくれる力がある。
打ち上げ花火はそれを見ようとすると、自然に上を向くことになる。隣を見ると同じように顔を上げた大切な人の目に花火が映って輝く。僅か5分の花火大会。それは勿論、生活をかけた花火師の方々が前を向くためでもあった。
今年も半分が終わったが、謙虚さを忘れず、恐怖に打ち勝って、前へ進もう。
東京では緊急事態解除後、感染者が増えたと緊張が走っているが、解除しても全く感染者が発生しないと考えていたわけではないだろう。ステップを進めるあるいは戻すための数字は明らかにされているが、その根拠がわからない。
中国は、コロナ感染症で最初に被害を被った武漢市で、1000万人のほぼ全住民に検査を行った結果、陽性と判定されたのは300人余だったと、感染の制圧が裏付けられたと発表した。1000万人を2週間で検査できるのだろうかと疑問もあるが、この判断は、欧州などで少しずつ文化活動を再開している根拠と違和感がない。
「新しい生活様式」ということが言われ、またその言葉が独り歩きしている感がある。時差通勤を行って満員電車の通勤を避けるとか、手洗いの習慣づけとかは、コロナ感染がおさまっても続けた方がいいだろう。でも、私たちがすべきことは「新しい生活様式」ではなく、どうしたら「元の生活」に戻れるかではないか。
マスクの着用、ソーシャルディスタンスの確保、これらは聴覚や視覚に障がいを持つ方にとっては、社会との遮断に繋がり、生活そのものが成り立たなくなる厳しさがある。派遣切りで仕事や住む家も失った方々には政府の支援自体が届かない。これに限らず、人々の繋がりを希薄にすることで、どれだけの人が支えを失いつつあるか。「新しい」という言葉は、往々にして残酷な意味を伴うが、「新しい生活様式」という言葉を既成事実のように使う時、どれだけの人々や、人間が長年築いてきた価値を切り捨てているか、爆発的感染がおさまっている今、冷静に考えてみるべきだと思う。
グローバリゼーションの弱点を突いて、今回のコロナはかつてない急速な拡大を見たが、人類が大規模な感染症の被害を被るのは、初めてではない。
また、感染症を引き起こすウィルスについて、人間がいつかすべてを解明し、恐怖から無縁になる時が来ると思っているなら、それは、自然に対する人間の思い上がり以外何物でもないだろう。
しかし、そうしたリスクや不安もあるこの世界でも、人間は生きていく道を毎回見つけ、人間らしい生活を取り戻してきた。それは長い歴史が証明している。
暗闇を手探りで歩くことになっても、その場にとどまらず、一歩でも前に進まなくてはいけない。慎重と臆病は違う。
全国の花火大会の6割以上が中止になる中で、6月1日、ウィルス禍終息への願いと人々へ元気を届けたいという願いをこめて、全国一斉に花火師が花火を打ち上げた。
予告なしに突然、胸を揺さぶる音とともに漆黒の空に咲いた花火に、人々はどれだけ勇気づけられただろう。
私も花火が大好きで、東京にいたころ、毎年両国の川開きを見に行った。花火は儚さが強調されがちだけれども、打ち上げ花火は、その瞬間、心を解放してくれる力がある。
打ち上げ花火はそれを見ようとすると、自然に上を向くことになる。隣を見ると同じように顔を上げた大切な人の目に花火が映って輝く。僅か5分の花火大会。それは勿論、生活をかけた花火師の方々が前を向くためでもあった。
今年も半分が終わったが、謙虚さを忘れず、恐怖に打ち勝って、前へ進もう。
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