阪神ファンの私にとって、クライマックスシリーズをまさかの4連敗で敗退したことは、かなり気の重くなる結果だった。DeNAが自慢の打撃力だけでなく投手力でも阪神を上回ったのは事実なので、相手をたたえるしかない。また、昨年のリーグ優勝から日本シリーズ、WBC、そして今年のシーズンと休み無しに厳しい試合を闘ってきた阪神の主力選手が満身創痍だったのも察して余りある。第4戦で故障をおして2本塁打を放った森下や、彼ら不在の時もチームを背負い続け計6安打を放った大山に対しては労いの気持ちしかない。
なぜプロ野球の話題をまた取り上げるかというと、阪神が敗退した後の「自称ファン」の誹謗中傷が目に余るからである。生活とは関係のない、言ってしまえば他人事であるプロ野球の試合に、私たちが一喜一憂するのはなぜか。そこに選手一人ひとりのドラマがあり、自分の日常と共感するものを見つけられるからではないのか。
結果論で、あの時の配球が不用意だとか、内野ゴロも打てないのか、とか匿名で非難するのはたやすい。前にも書いたが、結果や記録だけなら、翌日スポナビで数字を確認すれば足りる。わざわざ3時間あるいはそれ以上の時間を費やして試合を観戦した挙句、ヤフコメに誹謗中傷を書き込むだけなら空しすぎる(私は、そういうコメントを書く人は実は試合をちゃんと見ていない人も多いと思っている)
一部評論家が、今回のシリーズは、一見緊迫した得点差の試合に見えるが実はエラーや作戦ミスの多い低レベルの試合だったと論じている記事を見た。プロだから、失敗に言い訳が聞かないのは他の職業と同じだ。しかし、私たちは、失敗しても自分のプレーや、チームメイトのプレーでカバーできる「他の職業」と違う暖かさとひたむきさを見たくて試合を観戦するのではないのか。「失敗も含めて野球の醍醐味」という記事に対するコメントに私は溜飲を下げた。
また、上記評論家は、故障を抱えていても大事な試合に出続けるのが主力の役割だ、と佐藤や森下を批判していたが、評論家氏が活躍していた時代とは野球のレベルが違うのを無視している。故障してパフォーマンスの落ちた選手が気力だけで結果を出し続けられるほど今のMLBやNPBは甘くない。ドジャースの大谷ほどの才能と自己管理があってさえ、シーズン終盤不調になるときもあるのだ。著名な進化生物学者でヤンキースの熱狂的なファンだった故スティーヴン.ジェイ.グールドは、現代なぜ4割打者が消滅したか、という問題について、打者のレベルが下がったからでも、ハングリー精神が無くなったからでもなく、攻守ともにレベルが行きつくところまで向上してしまい、そういう「特異点」が発生する可能性が著しく減少したからだ、ということを数学的に証明した。「権藤、権藤、雨、権藤」が二度と起きないのは、選手を甘やかしているからではない。だいいち、常軌を逸した酷使のせいで、権藤博という稀有の大投手の選手寿命はわずか5年にも満たなかったではないか。
野球は勝負事だから、もちろん勝つためにやっている。必ず一方が勝って、もう一方は負けるし、無敗で永遠に勝ち続けるチームもない。負けた時の姿勢こそが大事だと思う。これは、プロでも中学生の野球でも変わらない。何より、たたかう人を自分がたたかわずに笑う人間にはなりたくない。