2020年5月15日金曜日

虹の病院で歌う「明日に架ける橋」

 また野球と直接関係なくて恐縮だが、元気が出たニュースをひとつ紹介したい。

 イギリス、ウェールズの仮設病院で、医療職員が英語とウェールズ語で「明日に架ける橋」を歌った映像が世界中で、医療従事者や患者を励ましている。



 この病院は、もともとコンサートホールだったが、コロナウィルス感染者の増大に伴い急遽病院に作り替えられ、「虹の病院」と呼ばれている。もともと音楽を演奏する場所ということもあり、まっすぐ正面を向いて歌う医療従事者の素晴らしいハーモニーをより一層際立たせている。この曲を50年前に作ったポール・サイモンも、彼らの勇敢な行為を称え、自身のツイッターで紹介した。

 サイモンとガーファンクルの最後の共同アルバムのタイトル曲として1969年に発表された「明日に架ける橋」は、ゴスペルをベースにした厚みのあるメロディーと、人間本来の温かさを溢れさせた歌詞で、以後10年間にわたって世界中のヒットチャートを席巻しただけにとどまらず、アメリカで、あるいは南アフリカで、傷つきながらも励ましあって前を向く人たちを勇気づけ続けてきた。

 私も小学校6年生の時この歌に出会って以来、何千回聴いたか分からない。ポールのコンサートも3回聴いたし、彼の音楽は私の血肉となっている。

 まずは、虹の病院のスタッフたちの声を聴いていただきたいが、彼らのメッセージを伝える手助けになれば、との一心で、拙訳(一部かなり意訳した)を紹介する。

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 Bridge Over Troubled Water

君がへこたれて惨めな気持ちで
涙があふれてきたときは
僕がぬぐってあげよう
君の味方だもの
ツキに見放され
頼る友達もいないときも
逆巻く波を乗り越える橋のように
僕は身を投げ出そう

誰も認めてくれず
街角に放り出され
夕焼けを見て胸が締め付けられるときは
僕が君の思いを聞いてあげる
君の夢に手を貸そう
夜の幕が降りて
何をしても辛くてたまらないときは
逆巻く波を乗り越える橋のように
僕は身を投げ出そう

輝きに包まれて
船出する時が来た
君はもうひとりじゃない
すべての夢が動き出している
ごらん、それがどんなに輝いているか
それでも君が心細いなら
僕がすぐ後ろをついていってあげる
逆巻く波を乗り越える橋のように
君の不安をとりのぞいてあげよう

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 コロナで顔を合わせることができなくても、僕らは決してひとりじゃない。

2020年5月13日水曜日

マスクの話

 福井県では、マスクの供給が通常に戻ってきた気がする。思ったより早い回復だった。画期的な配布方法をいち早く実施した県や、様々な方の努力があったからこそだと思う。ありがたいことだ。

 私は、連休前から、妻が作ってくれたガーゼ製のマスクを使っている。
 昔はガーゼのマスクを洗って使うのが当たり前だった。体の弱かった私は年中マスクをしていた気もする。昔のマスクは、ゴムがきつくて耳が痛くなり、腰がなくて口に貼り付き、息はしにくいは、すぐ臭くなるは、で好きになれなかった。
 ただ、今風の作り方でちゃんと作ったガーゼのマスクは、装着感もよく、不織布や紙のマスクより息もしやすくて快適だ。
 何より、洗って繰り返し使えるのがいい。

 使い捨てのマスクは、使う人にとっては清潔かもしれないが、大量の廃棄マスクを処理しなければならない、ごみ処理の方々にとっては、厄介どころか危険なものだ。ガーゼマスクはうまく作れば結構何度も使えるし、自分の家で洗うのだから、危険も何もない。マスクに限らず、私たちの快適や清潔は、それと引き換えに誰かを犠牲にして成り立っているものがまだまだあるのではないか。コロナの自粛期間をそうしたことを見直す機会にするなら、せめてもの幸いだろう。

 いろんな方のご厚意で入手した使い捨てのマスクは、政府や自治体の支援も届かない方々へ寄付したいと思う。

 野球とは関係ないが、ちょっと思ったことを書いた。


2020年5月11日月曜日

ゴールデンウィークが明けて

 嶺北シニアのホームページアクセス数が40万を超えた!
 一般的には大した数ではないが、野球チームのサイトではちょっと自慢かも。
 連絡や記録だけでなく、野球少年や保護者が元気になれるページを目指して、これからも頑張ります。

 世間では今日からゴールデンウィークが明けたことになっている。今年は家にこもっていたので、体力が充電されるかと思ったら、意外にだるい。やはり、人間少しは動かないと調子が出ないようだ。
 昨年のゴールデンウィークは、今から思えば殺人的なスケジュール。GW開始から、5月18日の選手権東海大会前まで、1か月弱で3大会と練習試合で29試合をこなした。
 でも、選手たちは春季大会の大敗の雪辱を期して燃えており、1年生と2年生はそれぞれの大会で優勝。3年生も兵庫の強豪と練習試合でいいプレーをした。残念ながら選手権大会にその成果は活かせなかったけれど、3年生は夏の舞鶴大会、そして永平寺大会で蓄積を爆発させ、その勢いが後輩にも伝わり、新人戦初優勝をかちとることができた。

 GW最後の日、今年は入団式を行う機会もまだないため、1年生に、室内練習場でユニホームだけを渡した。1人ずつまるでドライブスルーみたいな感じで、申し訳なかったが、来た子供は元気そうで、トレーニングもしてます、と言っていて嬉しかった。

 まだ油断はできないが、福井は新規感染者が0になってもうすぐ2週間。ちょっとだけ希望が見えてきた気もする。ダメ押しで、ひっそりした練習場にアマビエ様の絵も貼ってきた。

 コロナの後は世の中ががらりと変わる、あるいは変わらないといけないという人がいるが、私はそうは思わない。コロナくらいで、手放してはいけないもの、変えてはいけないものがある。
 昨年、汗をキラキラさせていたあの夏を思い出して、もうひと頑張りしよう。



 

2020年5月9日土曜日

野球は、「文化」なのだ

 野球を「文化」にしたい。選手の安全について球団に訴えたり、いじめ撲滅キャンペーンや、積極的にチャリティ活動に取り組むとき、あるいはファンや記者に丁寧に接するとき、松井秀喜には常にこの思いがあった。(松井はこうした活動で、国内ではゴールデンスピリット賞、米国ではナイスガイ賞を受賞している)

 翻って「文化」とは何だろうか。

 私は、生物として生きていくには必須ではないが、人間として生きていくには欠かせないもの、それが「文化」だと思っている。

 コロナウィルスの感染拡大を抑え込むため、スポーツ、様々な舞台芸術、映画、旅行など、私たちが当たり前だと思っていた様々な活動が制限されている。しかも、活動の担い手を経済的に失うことによって、それらを一時的ではなく、永遠に失ってしまうおそれさえある。人間が、何十年、何百年も積み上げてきたものが、目に見えないウィルスのために、こんなに簡単に存在さえ脅かされてしまうことが、悔しくてならない。

 野球が日本に根付いて100年以上経つ。その道のりは決して平たんではなかった。野球は昔から何も変わっていないと思っている人が多いだろうが、戦前戦中の動き一つとっても、決して恵まれていたとは言えない。(当時国策で優遇されていたのは、むしろ相撲やラグビーだった)野球の素晴らしさを伝えていくために命懸けで努力した人があってこそ、今がある。野球が特別扱いされてきたのではなく、様々な人の努力の結果、その存在が認められて来たのである。

 日本人の野球を背負い続けてきた松井やイチローが、野球を通して私たちに伝えてくれた多くのメッセージは、いちスポーツの枠に留まる小さなものではない。

 それが野球でなければできないものだと言うつもりはない。しかし、人間が人間らしく生きるために必要なものを、野球を通して、また、私のように直接プレーしない人間にも与えてくれることは間違いない。野球だけを特別扱いするな、等と安易に言われたくない。野球は、「文化」なのだ。


2020年5月8日金曜日

一人の練習

 家トレが続く中で、不世出の大打者落合が、野球を始めたばかりの小学生に教えたい3つのこととして、共感できるアドバイスをしている。

【落合博満の視点vol.14】野球を始めたばかりの小学生に教えたい3つのこと
https://news.yahoo.co.jp/byline/yokoohirokazu/20200508-00177448/
スポーツジャーナリストの横尾弘一氏の記事です。

 親は小学生の時からエリートコースを目指し、一歩でも周りより先んじて、と思いがちのようだが、落合氏は、「小学生には技術的な指導を細かくせず、楽しく野球に取り組むことをまず経験させ、その楽しさの中で基礎体力をアップさせたほうがいい」と考えているという。

 大切なのは、①バランスのとれた食事で体の土台を作ること、②野球は一人でも練習できることを覚えること、③野球がチームスポーツであることを意識することの3つ。
 硬式野球に取り組む中学生にも、程度の差はあれどそのまま当てはまるのではないだろうか。

 チームプレーといっても、いろんな受け取り方があるが、野球は一つのボールに対し9人がそれぞれ役割を持って動くこと、というのがいちばんしっくりくる。しかし、その一方で、野球は広いグラウンドに人数がそろわないと練習できないというのは誤解だと落合氏は言う。

 「就寝前に布団に寝そべり、ゴムボールを天井に向かって投げる。右利きなら右手で投げたボールを左手で捕るという動作を繰り返すことが、何よりもボールをリリースする際の指先の感覚、正しいヒジの使い方といった要素を覚えることに役立った」と振り返る。同じようなことは、布村総監督や、かつて野球「少年」だった大人たちからもよく聞く。
 メジャーでオズの魔法使いと称えられたオジー・スミスも、少年のころボールを屋根に放り上げては、落ちてくるボールをキャッチする遊びに熱中してたという。

 とにかく、ボールと遊ぶ。頼まれなくても、子犬みたいに夢中で球拾いに走る。チーム練習の場だけでなく、日ごろからボールとどれだけ仲良くなれるかで、いざという時の球際にも強くなる。
 普通に練習できる時期だって、一夜にして技術がアップすることはない。だったら、今の状況を逆手にとって、一人ひとり思いのままボールと遊んでみては?再開した後、決して無駄にならないと思う。


2020年5月6日水曜日

関西大学野球部のインスタ

 5日に関東連盟、6日に東海連盟が、相次いで、5月31日まで加盟全チームの活動自粛を求める公式な指示を公表した。

 選手はつらいだろうが、腰を据えてやるしかない。長い野球人生だと思えば、今の足踏みは必ず取り返せるだろう。

 こういう時期でも、動画でトレーニングが受けられるのは、内容そのものより、モチベーションの維持に効果的だ。プロ野球選手や各種ジムなどが動画を公開しているが、中学生の選手にもわかりやすく、選択肢も豊富だと思ったのが、関西大学野球部がインスタで提供しているメニューだ。

 https://www.instagram.com/kaisers_baseball/

 学生野球のトップクラスの選手が、ポジション別、目的別にトレーニング方法を教えてくれる。若い学生が、自分の得意分野を短く具体的に教えてくれるので親しみやすいのではないだろうか。

 コロナ禍を乗り越えようとするこうした協力の輪が、日常を取り戻したとき、新たな力になっていることを期待したい。

 現実には、コロナ感染拡大によって、生活や健康が脅かされ、野球などの話どころではない人が大勢いる。今、野球のことを考えていられる幸運に感謝して、いつか私たちのチームも何か社会に恩返しをしたいと思う。

2020年5月5日火曜日

野球のお札

 ステイホームで家のかたづけに精を出していると、懐かしいものや面白いものに出会う。
 その中で、出張や旅行の時余ったいろんな国のお札が出てきた。アジアの国は結構お札のデザインが変わるので面白いとか思ってみていると、写真のような台湾の500円札を発見。表が少年野球の子どもたちが勝利に沸いている絵で、今まで気にしたことがなかったが、これは珍しいと思い調べてみた。



 絵に描かれているのは、1969年、日本や米国を破ってリトルリーグ世界一になり、国民的英雄になった少年野球チーム「金龍少棒隊」。しかも、このチームは、台湾の先住民アミ族の少年たちだった。アミ族は台湾の先住民中最大の人口を擁するが、著名人も多く輩出している。

 そして、「金龍少棒隊」のエースが、後に中日ドラゴンズのストッパーとして、星野監督の絶大な信頼を得て活躍した郭源治である。キャリアハイの1988年には、セリーグトップの37セーブ、防御率1.95の素晴らしい成績を残している。

 台湾へよく出張していたころは、王健民がシンカーを武器にヤンキースのエースとして君臨していて、街のあちこちに彼の等身大のパネルが飾られていたことを思い出した。

 ちなみに、500円札の裏側は、大覇尖山をバックにした鹿の群れ。



 アミ族は主に平野に住んでおり、大覇尖山は、タイガ族、サイシャ族の聖地だが、野球の成果を契機に、台湾の先住民全体の地位も上げようとしたのかもしれない。そうだとすれば、いい話ではないか。


コロナウィルスに関する偏見や差別について

 庭のつつじが今年も花をつけた。喧噪のない静かな休日にけなげに咲く今様色の花が一層美しく感じられる。

 ステイホーム週間、私は家にこもって花を眺めていれば済むが、この瞬間にも危険や偏見と向かい合っている医療従事者、輸送業者、ごみ処理業務者等の方々に思いをはせると、申し訳ない気持ちになる。

 ウィルスとのたたかいが長期戦になることで、感染症対策専門家会議が、「新しい生活様式」として、具体的指針を発表した。買い物は空いた時間に1人で電子マネーで行う、食事の時は間隔をあけて会話を控える、テレワークを進める、等々。意図はじゅうぶん理解できるが、果たしてどれだけの人が実現可能なのだろうか。
 気になるのは、これが「緊急事態」の指針ではなく、継続的な「新しい生活様式」として提案されていることだ。

 地球上に存在するウィルスの種類は膨大で、すべてのウィルスの質量を合計すると、私たちが目にする普通の生き物の質量を上回るとさえ言われている。そのほとんどは、生物の長い進化の過程でお互い折り合いをつけ、共存してきた。これからも、変異したインフルエンザの発生などは繰り返されるだろう。それらを地球から駆逐することはできないので、社会的免疫をつけ、共存していくしかない。

 スウェーデンは、ほかの欧州諸国とは異なり、できるだけ制限を設けず、社会的免疫をつくることで対応しようとしている。それを可能にしたのは、福祉国家として築き上げてきた、人間と人間間の信頼、政府と個人間の信頼、そして、福祉の土台の上で各個人が自分で判断する自律性である。最近は死亡率の増加(高齢者も多い国だ)によって政策の修正も迫られているが、学ぶところが多いように思う。

 日本人は、ハンセン病り患者や福島原発事故の被災者に対し、科学的根拠のない偏見や、病気や被災の苦しみ以上に深刻な差別を行うという過ちを経験している。

 安倍首相は、緊急事態延長の説明の中で、り患者や医療従事者への差別があってはならないと訴えた。まさに、国民全員ができることから理解協力すべき時期であり、今回のコロナ禍はその契機としなければならない。しかし、「新しい生活様式」は、丸腰で戦場を歩いているかのような不安を増長し、人々の分断を助長しはしないだろうか。

 コロナと最前線でたたかっている日本赤十字は、ウィルスより怖いのは、人々の心を侵す恐怖と差別であるとし、現在の状況でも、人間らしい生活をできるだけ保つよう呼びかけている。子どもでもわかる動画でキャンペーンしているので、是非見ていただきたいと思う。

2020年5月4日月曜日

特攻に散った投手石丸進一

 日本プロ野球の黎明期、名古屋軍で活躍した石丸進一という投手がいた。偶然私と同じ姓だが、「~丸」という姓でよくあるように、九州佐賀の出で、私の父と同じ故郷であることからも親近感を持った。

 8歳上の兄藤吉もプロ野球のスター選手で、その後を追ってプロ選手になった進一は投手として昭和17年に17勝、18年に20勝を挙げ、当時は天文学的金額だった家の借金を兄とともに完済した。戦前最後のノーヒッターでもあった。
 歴代プロ選手の中でも突出した野球バカで、実直堅物な絵に描いたような九州男児だった。捕手がミットを動かして際どい球をストライクに見せようとするのも嫌ったという。野球を続けていれば、戦後も日本を代表する大投手になったはずだが、戦争がそれを許さなかった。

 当時のプロ野球組織は、沢村を軍隊で消耗させた痛恨の反省を期に、徴兵免除を目的に所属選手のほとんどを大学に偽装入学させるなど懸命の努力を続けていたが、ミッドウェーでの大敗後益々ひっ迫する昭和18年、兵力不足を補うため、日本政府が高等教育機関に在籍する20歳以上の文系および一部理系の学生を在学途中でも徴兵し出征させる「学徒出陣」を始めるに及び、進一の将来は断たれた。

 軍隊教官がいかに鉄拳制裁で洗脳しようとしても、動員された若者の本心を変えることはできない。曲がったことの嫌いな進一の反発はなおさらだった。しかし、ごまかしの利かない彼は、徴兵後の適正検査も全力であたり、優秀な成績をおさめ、航空隊に配属される。この時期新規に航空隊に配属されることは、特攻と同義であった。非人間的であるのはもちろん、軍部が面子を保つため、あるいは敗色濃厚の不安と鬱憤を晴らすためだけに、若者と資材をいたずらに消耗する愚策中の愚策だった。
 昭和20年5月11日、進一は、法大出身の本田少尉を相手に10球のキャッチボールを行った後、鹿児島鹿屋基地から沖縄方面へ出撃し、帰らぬ人となった。享年22歳。日本がポツダム宣言を受け入れるわずか3か月前だった。

 コロナ禍で先が見えない中、戦前戦中の野球人に関する本を読むことが多くなった。戦後建立された鎮魂の碑には、沢村や石丸を含め、戦争で亡くなった70名以上のプロ野球選手の名が刻まれている。行方不明の選手もおり、実態はこれを上回るだろう。
 今は苦しくても、戦争で本人や家族の命が絶たれることはない。コロナの感染が収まった後の社会が、こうした悲劇を繰り返さない、平和で友愛に満ちた世界であることを願わずにはいられない。

2020年5月3日日曜日

早稲田対駒大苫小牧

 緊急事態の下、TV番組の製作も困難となり、再放送が増えているが、過去の名作やスポーツの名勝負が見られるので、それはそれで嬉しいものだ。

 先日も、星野阪神が赤星のサヨナラヒットで優勝を決めた試合が見られたし、今日は、2006年夏の甲子園、伝説となった早稲田対駒大苫小牧の決勝戦のダイジェストを見ることができた。

 2日間で24回を投げあうなどということは、今の時代考えにくいが、この試合には、球数やイニングの制限について考え直させられてしまう、そんな迫力がある。田中、斎藤ともに、高校生とは思えない肚の据わったピッチングだ。
 奇しくも最後の打席は斎藤と田中の対決で、なんと147kmを計測した斎藤の4球目を田中が空振りして早稲田の初優勝が決まった。それまでポーカーフェイスを保っていた両選手の表情が好対照だった。感情が押さえられず涙を溢れさせる斎藤に対し、敗れた田中の爽やかな表情が印象的。相手の力が上回ったことを潔く認めた田中の表情からは、敗北した悔しさより全力を出し切った清々しさが見て取れた。

 田中はプロへ進む決意を固め、名将野村の指導で成長し、日本でも米国でもご存じの通り次々偉業を成し遂げるが、そのスタートは、あの空振り三振の瞬間に切られていたのだと思う。

 たかが直径7cm余りの白球を追いかけるこのスポーツが、一人の人間自体やその人生を変える瞬間がある。それは疑いようのない事実だ。
 勝っても、負けても、子ども達にその瞬間を味合わせてやりたい。心から願う。