2020年5月5日火曜日

コロナウィルスに関する偏見や差別について

 庭のつつじが今年も花をつけた。喧噪のない静かな休日にけなげに咲く今様色の花が一層美しく感じられる。

 ステイホーム週間、私は家にこもって花を眺めていれば済むが、この瞬間にも危険や偏見と向かい合っている医療従事者、輸送業者、ごみ処理業務者等の方々に思いをはせると、申し訳ない気持ちになる。

 ウィルスとのたたかいが長期戦になることで、感染症対策専門家会議が、「新しい生活様式」として、具体的指針を発表した。買い物は空いた時間に1人で電子マネーで行う、食事の時は間隔をあけて会話を控える、テレワークを進める、等々。意図はじゅうぶん理解できるが、果たしてどれだけの人が実現可能なのだろうか。
 気になるのは、これが「緊急事態」の指針ではなく、継続的な「新しい生活様式」として提案されていることだ。

 地球上に存在するウィルスの種類は膨大で、すべてのウィルスの質量を合計すると、私たちが目にする普通の生き物の質量を上回るとさえ言われている。そのほとんどは、生物の長い進化の過程でお互い折り合いをつけ、共存してきた。これからも、変異したインフルエンザの発生などは繰り返されるだろう。それらを地球から駆逐することはできないので、社会的免疫をつけ、共存していくしかない。

 スウェーデンは、ほかの欧州諸国とは異なり、できるだけ制限を設けず、社会的免疫をつくることで対応しようとしている。それを可能にしたのは、福祉国家として築き上げてきた、人間と人間間の信頼、政府と個人間の信頼、そして、福祉の土台の上で各個人が自分で判断する自律性である。最近は死亡率の増加(高齢者も多い国だ)によって政策の修正も迫られているが、学ぶところが多いように思う。

 日本人は、ハンセン病り患者や福島原発事故の被災者に対し、科学的根拠のない偏見や、病気や被災の苦しみ以上に深刻な差別を行うという過ちを経験している。

 安倍首相は、緊急事態延長の説明の中で、り患者や医療従事者への差別があってはならないと訴えた。まさに、国民全員ができることから理解協力すべき時期であり、今回のコロナ禍はその契機としなければならない。しかし、「新しい生活様式」は、丸腰で戦場を歩いているかのような不安を増長し、人々の分断を助長しはしないだろうか。

 コロナと最前線でたたかっている日本赤十字は、ウィルスより怖いのは、人々の心を侵す恐怖と差別であるとし、現在の状況でも、人間らしい生活をできるだけ保つよう呼びかけている。子どもでもわかる動画でキャンペーンしているので、是非見ていただきたいと思う。