2020年5月9日土曜日

野球は、「文化」なのだ

 野球を「文化」にしたい。選手の安全について球団に訴えたり、いじめ撲滅キャンペーンや、積極的にチャリティ活動に取り組むとき、あるいはファンや記者に丁寧に接するとき、松井秀喜には常にこの思いがあった。(松井はこうした活動で、国内ではゴールデンスピリット賞、米国ではナイスガイ賞を受賞している)

 翻って「文化」とは何だろうか。

 私は、生物として生きていくには必須ではないが、人間として生きていくには欠かせないもの、それが「文化」だと思っている。

 コロナウィルスの感染拡大を抑え込むため、スポーツ、様々な舞台芸術、映画、旅行など、私たちが当たり前だと思っていた様々な活動が制限されている。しかも、活動の担い手を経済的に失うことによって、それらを一時的ではなく、永遠に失ってしまうおそれさえある。人間が、何十年、何百年も積み上げてきたものが、目に見えないウィルスのために、こんなに簡単に存在さえ脅かされてしまうことが、悔しくてならない。

 野球が日本に根付いて100年以上経つ。その道のりは決して平たんではなかった。野球は昔から何も変わっていないと思っている人が多いだろうが、戦前戦中の動き一つとっても、決して恵まれていたとは言えない。(当時国策で優遇されていたのは、むしろ相撲やラグビーだった)野球の素晴らしさを伝えていくために命懸けで努力した人があってこそ、今がある。野球が特別扱いされてきたのではなく、様々な人の努力の結果、その存在が認められて来たのである。

 日本人の野球を背負い続けてきた松井やイチローが、野球を通して私たちに伝えてくれた多くのメッセージは、いちスポーツの枠に留まる小さなものではない。

 それが野球でなければできないものだと言うつもりはない。しかし、人間が人間らしく生きるために必要なものを、野球を通して、また、私のように直接プレーしない人間にも与えてくれることは間違いない。野球だけを特別扱いするな、等と安易に言われたくない。野球は、「文化」なのだ。