その切り札が電子的なネットワークの活用だと言われているが、それはあまりに表面的すぎると思う。
もともと地球上に多種多様なウィルスが存在しているが、それぞれの地域で平和に生物と共存してきた。森林の乱開発によって、それが変異しながら人間社会に拡散してきたのが、エボラはじめ危険なウィルス流行の根本原因だ。それに加えてグローバリズム万能の考えの下、世界的分業で農作物、労働力含めて各国の自給率が落ちたのも問題だ。また、世界で1%に満たない人が半分以上の利益を独占し、貧富の差は拡大する一方で、医療を受けたくても受けられない人がいる。医療関係者の懸命な努力にもかかわらず、この10年間、臨床ベッド数は減らされ続けた。テレワークで仕事ができるのは一部の職業だけだ。現場を離れられない多くの人はIT化の置き去りにされている。
老人や、私のように持病を持った人、あるいは不注意な人が犠牲になるのではない。持たざる者が死ぬ、という現実を直視し、ひとりひとり知恵と持てる力を分け合って、解決していくしかない、と思う。手に余るものはいらない。そのかわり、皆が少しずつ持てる社会であればいい。ステイホームで家族と過ごした時間を、家族と、身近な人と、そして少しずつ広い範囲の人のことを慈しむきっかけにしたい。
松井秀喜は、ベストセラー「不動心」で「コントロールできることとできないことを分ける」ことを語っていた。今我慢しなければならないことは、不平不満を言ったり、誰かを攻撃したいりしてもしょうがない。でもひとりひとりができることはあるはずだ。小さなことでもいい。一人で練習するメニューも随分覚えただろう。改めて野球が好きだと思えたら、それ自体が宝物ではないか。