2020年5月18日月曜日

緊急事態がすこしずつ解除されて

 コロナウィルスの感染はおさまってきたかのように見える。ただ、これはだいぶ無理をして接触機会を抑えてきた結果で、社会的免疫ができたわけではないから、感染の第2波があるかもしれないし、ないかもしれない。しかし、リスクがゼロになるまでステイホームしていたら社会は崩壊してしまう。過去にMARSやSARSが発生し、今後もウィルスの変異は起きるだろうから、私たちはウィルスとうまく共存する暮らし方を考えなくてはいけない。

 その切り札が電子的なネットワークの活用だと言われているが、それはあまりに表面的すぎると思う。

 もともと地球上に多種多様なウィルスが存在しているが、それぞれの地域で平和に生物と共存してきた。森林の乱開発によって、それが変異しながら人間社会に拡散してきたのが、エボラはじめ危険なウィルス流行の根本原因だ。それに加えてグローバリズム万能の考えの下、世界的分業で農作物、労働力含めて各国の自給率が落ちたのも問題だ。また、世界で1%に満たない人が半分以上の利益を独占し、貧富の差は拡大する一方で、医療を受けたくても受けられない人がいる。医療関係者の懸命な努力にもかかわらず、この10年間、臨床ベッド数は減らされ続けた。テレワークで仕事ができるのは一部の職業だけだ。現場を離れられない多くの人はIT化の置き去りにされている。

 老人や、私のように持病を持った人、あるいは不注意な人が犠牲になるのではない。持たざる者が死ぬ、という現実を直視し、ひとりひとり知恵と持てる力を分け合って、解決していくしかない、と思う。手に余るものはいらない。そのかわり、皆が少しずつ持てる社会であればいい。ステイホームで家族と過ごした時間を、家族と、身近な人と、そして少しずつ広い範囲の人のことを慈しむきっかけにしたい。

 松井秀喜は、ベストセラー「不動心」で「コントロールできることとできないことを分ける」ことを語っていた。今我慢しなければならないことは、不平不満を言ったり、誰かを攻撃したいりしてもしょうがない。でもひとりひとりができることはあるはずだ。小さなことでもいい。一人で練習するメニューも随分覚えただろう。改めて野球が好きだと思えたら、それ自体が宝物ではないか。