2020年5月15日金曜日

幻の完全試合

 完全試合を達成した投手は、100年の歴史を誇るメジャーリーグでも、これまで23人しかいない。それだけ難しいということだが、この数に含まれていない、「幻の完全試合」があった。

 2010年6月2日、デトロイト・タイガースの先発投手ガララーガは、インディアンズに対し、9回2死まで一人の走者も出さず、27人目ドナルドも平凡な一ゴロ。ファンのすべてが大記録達成の瞬間と思ったが、一塁塁審のジョイスはセーフのコール。ビデオのリプレイでは、ベースカバーに入ったガララーガがベースを踏む方が明らかに早かったが、当時は今のようなアピールが認められていなかった。結局、インディアンズの28人目の打者は三ゴロに倒れ、記録上1安打完封でゲームセットとなった。

 試合後ビデオリプレイを見たジョイスは誤審をすぐ認め、ガララーガに涙で謝罪。ガララーガもこれを潔く受け入れ、握手を交わす場面に多くのファンが胸を打たれた。ガララーガは、完全試合「達成」者の中では、メジャー通算で30勝に届かなかった投手だ。大記録を逃した悔しさも一層だったはずである。ジョイスの働きかけもあり、メジャーリーグ機構は、この試合の記録を訂正する検討もしているらしいが、たとえ、「記録」が訂正されなくても、ガララーガとジョイスの「フェアプレー」は、これからも野球ファンの「記憶」に残っていくだろう。

 シニアリーグの試合規定にも明記されているから、改めて言うまでもないが、中学野球では、たとえ誤審であっても、抗議はあるべきではないと思っている。子どもたちのために慣れない保護者審判が汗を流してくれているときはなおさらだ。
 まだ確実性のない野球人生の入り口の選手にとって、その一球の判定が覆るのと、それによって失うものとを天秤にかければ、当然抗議はノーだ。

 どんなに精進し、全力を傾けても、哀しいかな人間の行うことに間違いはつき物である。だが、一方で人間だからそれを許すことができる。間違いを乗り越えて成長することができる。

 本人でないから言えるのかもしれないが、記録に残る結果より、大きなものを得ることができるのも人間だ。記録の良しあしがすべてだったら、プロ野球なんて翌日新聞でスコアさえ見れば事足りるが、そうではないから、テレビやラジオの前で一喜一憂するのだろう。

 ビデオ判定対象の拡大により、監督がアピールするタイミングも、試合の流れを左右する重要な要素になった。マイナーリーグでは、ストライク/ボールの判定を一部ロボット審判に置き換える準備も進んでいるが、野球の本質が変わってしまうのではないかと危惧するのは私だけではあるまい。
 最新のエレクトロニクスとソフトウェアで作られていても、しょせん人間の作るものにはバグがある。万分の一かもしれないが、ロボット審判が誤審をしたとき、それを収拾するのは誰なのか。
 選手にとってはかけがえのない試合だからこそ、誤審の可能性があっても、人間に任せたいのではないのか。野球は人間のスポーツなのだから。

(補足)捕手のフレーミングを、ミットを動かしてボール球をストライクに見せる姑息な手段だと思っている人は案外多いが、それは間違い。そんなことをしても、球審の心証を害するだけで、何もいいことはない。捕球動作の乱れ(強い球でミットが自然に流れてしまう等)によりストライクぎりぎりの球がボールと判定されないよう、正確に補球する技術がフレーミングだ。念のため。