今日は快晴で風も穏やかだったので、越前海岸をドライブした。道路から見る海は青空を映してきらめき、山々の緑もむせるように濃く、コロナ禍の影響を感じさせるものは何もないように見えた。
リトルシニア東海連盟も、5月30日以降、条件付きではあるが練習の再開を決定した。子ども達にとっては、2か月遅れの球春が訪れたようなものだ。甲子園大会は中止が決まったが、中学生硬式野球の各リーグは、夏の大会条件付開催可否の結論をまだ出していない。
野球経験のない私にとって、甲子園中止という衝撃を、「自分として」どう理解したらいいのか、今も考えている。
先日の投稿で触れたように、私は大学時代合唱団活動に没頭していた。主力の3年生時代、私たちは、当時自主労組連帯が中心になって民主化を始めたポーランドに注目した。地政学上の理由から、何度も戦争に巻き込まれ、第二次大戦ではナチスに最も多く殺され、さらに民主化闘争に命を懸けるポーランド人の歴史を学んだ私たちは、その不屈の精神に胸を打たれた。そして、たたかいの中で歌い継がれてきた歌をとりあげ、定期演奏会で演奏した。取り上げた曲の半数以上が日本初公開の歌で、技術的なことよりも、その内容を理解すること、その歌を歌う資格のある人間に一歩でも近づくことのために、青臭い情熱を傾けた。冬場暖房のない練習場で寒さに凍えながらの練習、曲の解釈や演出をめぐって徹夜の話し合いもざらであった。
幸い演奏会は成功し、大きな反響を呼んだが、仮に、この演奏会が、直前に感染症が拡大したことを理由に中止されたら、と考えた。音楽は人に聞かせてナンボである。30年以上前、今のようにバーチャルな手段など想像の中にもない。残るのは、会場やパンフレットなどの債務だけ。音楽に自分の生き方を重ね合わせ葛藤してきた思いの行き先は、容易に見つからなかっただろう。
結果として、全国大会の舞台に立てるかどうかは大きな問題ではないと思う。小さいころから目標にしてきたものが、自分ではどうしようもない理由で失われる無念さを、若者に理屈で納得しろというのは、思いやりがなさすぎる。
野球をやっている若者には野球が何より特別なはずだ。陸上をやっている若者には陸上が特別だし、ブラスバンドをやっている若者には音楽が特別だ。
平田オリザさんが言っていたように、誰にとっても生命が一番大切だが、その次に大事なものは違うし、それは他人に説明できる性質のものではない。
現実にできないという判断をするのがやむを得ないということと、それを気持ちで受け入れよと自分の痛み無しに強制していいかどうかは、まったく別の問題だ。
これから、スポーツ活動、文化活動がどう戻っていくのか、まだだれにも分からない。ウィルス感染防止という観点からは、すべてを一律に再開、あるいは制限解除できない場合もあると思う。
その際に、部外者が足を引っ張りあうのではなく、先にできるところは認め、遅れざるを得ないところを思いやり、経験を伝えていく、そういう思いやりのある世の中になってほしい。そのためには、大人が手本を示さなければならない。